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「上田流の作り方で作った、信州産・上田流ドライフルーツですね。」
玉井フルーツ店は、長野県上田市にあるフルーツ屋さんだ。しかしフルーツ屋さんと言っても、フレッシュフルーツの取り扱いはなく、店内には所狭しと豊富な種類のドライフルーツが並び、信州産の文字が目にとまる。
「家業としての果物屋を継いで僕が3代目。信州の質の高い果物と上田の乾燥した気候という地域の特徴を使って、何かビジネスにならないかなと思っていたんです。」と、軽快な口調で語ってくれたのは代表取締役の町田和幸さん。

 

長野県はフルーツ王国。ブルーベリーもプルーンも全国1位。リンゴも全国で2位。山に囲まれたこの地は、昼と夜の寒暖差があり果物の栽培に適している。

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そして、国産のドライフルーツが、これほど揃うお店もまず他には無いだろう。
「今までドライフルーツといえば輸入品だったんです。何故かって、国産ドライフルーツは作れないと言われていたんです。果物のドライ加工に冬場の乾燥した時期以外には、高温多湿な日本は適していないと言われていた。でもそれ本当?って今まで無いなら作ってしまえって始めたんです。」
差し出された試食のドライフルーツを口にすると、その美味しさは思わず言葉を失うほどだった。

 

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町田社長は、もともと東京の大学で法律の勉強をしていたそうだ。卒業後に地元へ戻り、当時高齢だった先代の家業を手伝いながら勉学に励んでいた。若い発想とエネルギーで、営業を基礎から改善させた。
「基本の繰り返し。例えば納期を守るだとか、電話対応、クレームが来たときの処理の仕方。お客さまに誠意をもって接する事。当たり前の積み重ねです。それでリピーターを増やした事が良かったのだと思います。」すると、なんと一年目には売上げが2倍になったそうだ。
「そこで俺は天才だと大勘違いをしたのが、地元に帰って来る事になったきっかけです。」

 

学生時代のある日、たまたま手にとった新聞に富岡製糸工場で生産された生糸が、八王子に出荷され横浜港に運び込まれていたという歴史が書かれていた。
「記事は富岡製糸工場から始まるんですけど、その前については全く書かれていないんです。長野県、特に上田は蚕都といわれた程なのですが、その背景が全く書かれていないことに、自分の育った町がとても勿体ないなぁと感じました。」

 

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「そんな、自分の育った町がとても勿体ないと思いながら、例えば夏に帰ったりすると、上田って暑いんだけれどカラッとしている。この気候は何かに使えないかなと思いたったんです。」

 

ひらめいたら実行するのが町田社長だ。それでいて、学生時代に学んだリーガルマインドの精神、つまり法的考え方があった。「実地応用の礎を養う。」精神が意識の中にあり、物ごとを順序だてて説得すること。発想は無鉄砲でもこれは行ける!と思っての行動だった。

 

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「苦労したって言うと格好悪いから、あまり言いませんけど正直苦労しました。」日本ではドライフルーツは作れないというのが業界の常識だった。もちろん専門の先生に聞く事も出来ない。
「自分が専門家になるくらいの勢いでやったんです。まったく畑違いのことだったので取引先の方に言われた事が分からなくて、家に帰ってから必死に調べたりしました。」

 

海外にも行き、技術を自分の手で盗んだ。
「まず、海外のドライフルーツと国内では作り方の発想が違うんです。海外は大量に作って、いい所だけを高く売るんですけど、国内は一個の商品でどれだけ良い物を作るのかという作り方なんですね。味に関して海外と戦えるんです。」

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今では玉井フルーツ店のドライフルーツは、千疋屋総本店さんでも取り扱いされる程になった。

 

「今の国産ドライフルーツって農産物の延長線上と考えられていて、そうすると生産者さんが、自分が作っているものをドライにするという流れなんです。普通に考えたら生産者さんが、一番忙しい収穫時期にドライフルーツなんて作れる訳がないんです。誰かが作ってあげなきゃいけない。だから僕は加工専門のメーカーになろうと思ったんです。」

 

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質の高い商品にこだわった玉井フルーツ店のドライフルーツを、取り扱いたいと地元の高級スーパーからも声が掛かった。
「ドライフルーツで上田を盛り上げるお手伝いをさせて欲しい。」この言葉に町田社長は、心を動かされたという。
「学生時代に地元を離れて、自分は上田の事を知らなかったことに気づいたんです。もっと地元の事を知ってもらいたいと、今は地元への愛情でやってます。」

 

とにかく上田にこだわる町田社長はこう言った。
「県外の方からみると国産。長野県内でみると長野県産。だけれど僕がやりたいのは、上田の気候を利用して、信州産のレベルの高い果物でドライフルーツを作る事。それがうちの商品の特徴だということを知って欲しい。僕が売りたいのは上田なんです。」

 

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「人がやっていない事をやりたくて。」
海外展開を視野に入れ映像で発信する事を考えて、今回の映像を製作するに至った。

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「実際に映像を作って一番感じたのは、自分自身の会社の良さを取材で指摘してもらって気付けたこと。将来展開していきたい事、普通に聞いたらバカじゃない?って思われそうな事も言えたのが良かったかな。」会社の夢を語ること、そのものが勉強になったと言う。

 

海外展開にカフェ構想。町田社長の頭の中は常に新しい発想でいっぱいだ。
「ドライフルーツの世界大会なんかがあれば出したいですね。世界に出て日本って凄いんだよって知ってもらいたい。そこで逆に日本の皆さんに上田を知ってもらって。そうしたら自分の会社も誇れる

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し、社員さんのモチベーションも上がって喜んでくれるでしょう。」
一見、無鉄砲に見える町田社長だが、深く広く想像してからの創造がある。
「背景があって商品がある。商品の後ろにどんな背景があるのかということが大切なのかな。しっかりとしたコンセプトで、しっかりとした商品をお届けしないといけないかなと思っています。」

 

上田流ドライフルーツ屋、玉井フルーツ店。世界に名を轟かせるのも、もう間近だ。(小高)

-こだわりの商品を魅せる

「上田流の作り方で作った、信州産・上田流ドライフルーツですね。」

玉井フルーツ店は、長野県上田市にあるフルーツ屋さんだ。しかしフルーツ屋さんと言っても、フレッシュフルーツの取り扱いはなく、店内には所狭しと豊富な種類のドライフルーツが並び、信州産の文字が目にとまる。

「家業としての果物屋を継いで僕が3代目。信州の質の高い果物と上田の乾燥した気候という地域の特徴を使って、何かビジネスにならないかなと思っていたんです。」と、軽快な口調で語ってくれたのは代表取締役の町田和幸さん。

 

長野県はフルーツ王国。ブルーベリーもプルーンも全国1位。リンゴも全国で2位。山に囲まれたこの地は、昼と夜の寒暖差があり果物の栽培に適している。

 

そして、国産のドライフルーツが、これほど揃うお店もまず他には無いだろう。

「今までドライフルーツといえば輸入品だったんです。何故かって、国産ドライフルーツは作れないと言われていたんです。果物のドライ加工に冬場の乾燥した時期以外には、高温多湿な日本は適していないと言われていた。でもそれ本当?って今まで無いなら作ってしまえって始めたんです。」

差し出された試食のドライフルーツを口にすると、その美味しさは思わず言葉を失うほどだった。

 

-ひらめきは突然に

町田社長は、もともと東京の大学で法律の勉強をしていたそうだ。卒業後に地元へ戻り、当時高齢だった先代の家業を手伝いながら勉学に励んでいた。若い発想とエネルギーで、営業を基礎から改善させた。

「基本の繰り返し。例えば納期を守るだとか、電話対応、クレームが来たときの処理の仕方。お客さまに誠意をもって接する事。当たり前の積み重ねです。それでリピーターを増やした事が良かったのだと思います。」すると、なんと一年目には売上げが2倍になったそうだ。

「そこで俺は天才だと大勘違いをしたのが、地元に帰って来る事になったきっかけです。」

 

学生時代のある日、たまたま手にとった新聞に富岡製糸工場で生産された生糸が、八王子に出荷され横浜港に運び込まれていたという歴史が書かれていた。

「記事は富岡製糸工場から始まるんですけど、その前については全く書かれていないんです。長野県、特に上田は蚕都といわれた程なのですが、その背景が全く書かれていないことに、自分の育った町がとても勿体ないなぁと感じました。」

 

「そんな、自分の育った町がとても勿体ないと思いながら、例えば夏に帰ったりすると、上田って暑いんだけれどカラッとしている。この気候は何かに使えないかなと思いたったんです。」

 

ひらめいたら実行するのが町田社長だ。それでいて、学生時代に学んだリーガルマインドの精神、つまり法的考え方があった。「実地応用の礎を養う。」精神が意識の中にあり、物ごとを順序だてて説得すること。発想は無鉄砲でもこれは行ける!と思っての行動だった。

 

-可能性への孤独な挑戦

「苦労したって言うと格好悪いから、あまり言いませんけど正直苦労しました。」日本ではドライフルーツは作れないというのが業界の常識だった。もちろん専門の先生に聞く事も出来ない。

「自分が専門家になるくらいの勢いでやったんです。まったく畑違いのことだったので取引先の方に言われた事が分からなくて、家に帰ってから必死に調べたりしました。」

 

海外にも行き、技術を自分の手で盗んだ。

「まず、海外のドライフルーツと国内では作り方の発想が違うんです。海外は大量に作って、いい所だけを高く売るんですけど、国内は一個の商品でどれだけ良い物を作るのかという作り方なんですね。味に関して海外と戦えるんです。」

 

今では玉井フルーツ店のドライフルーツは、千疋屋総本店さんでも取り扱いされる程になった。

 

「今の国産ドライフルーツって農産物の延長線上と考えられていて、そうすると生産者さんが、自分が作っているものをドライにするという流れなんです。普通に考えたら生産者さんが、一番忙しい収穫時期にドライフルーツなんて作れる訳がないんです。誰かが作ってあげなきゃいけない。だから僕は加工専門のメーカーになろうと思ったんです。」

 

-上田への愛から生まれたドライフルーツ

質の高い商品にこだわった玉井フルーツ店のドライフルーツを、取り扱いたいと地元の高級スーパーからも声が掛かった。

「ドライフルーツで上田を盛り上げるお手伝いをさせて欲しい。」この言葉に町田社長は、心を動かされたという。

「学生時代に地元を離れて、自分は上田の事を知らなかったことに気づいたんです。もっと地元の事を知ってもらいたいと、今は地元への愛情でやってます。」

 

とにかく上田にこだわる町田社長はこう言った。

「県外の方からみると国産。長野県内でみると長野県産。だけれど僕がやりたいのは、上田の気候を利用して、信州産のレベルの高い果物でドライフルーツを作る事。それがうちの商品の特徴だということを知って欲しい。僕が売りたいのは上田なんです。」

 

-想像を越えた創造を作り出す

「人がやっていない事をやりたくて。」

海外展開を視野に入れ映像で発信する事を考えて、今回の映像を製作するに至った。

 

「実際に映像を作って一番感じたのは、自分自身の会社の良さを取材で指摘してもらって気付けたこと。将来展開していきたい事、普通に聞いたらバカじゃない?って思われそうな事も言えたのが良かったかな。」会社の夢を語ること、そのものが勉強になったと言う。

 

海外展開にカフェ構想。町田社長の頭の中は常に新しい発想でいっぱいだ。

「ドライフルーツの世界大会なんかがあれば出したいですね。世界に出て日本って凄いんだよって知ってもらいたい。そこで逆に日本の皆さんに上田を知ってもらって。そうしたら自分の会社も誇れるし、社員さんのモチベーションも上がって喜んでくれるでしょう。」

一見、無鉄砲に見える町田社長だが、深く広く想像してからの創造がある。

「背景があって商品がある。商品の後ろにどんな背景があるのかということが大切なのかな。しっかりとしたコンセプトで、しっかりとした商品をお届けしないといけないかなと思っています。」

 

上田流ドライフルーツ屋、玉井フルーツ店。世界に名を轟かせるのも、もう間近だ。

(小高)