東京霞が関で働く水産庁の職員、上田勝彦さん。人は彼のこと「ウエカツ」と呼ぶ。
 震災後、東北の魚を買って、食べて、支えようと、「水産の復興を考える会(旧:Re-Fishリ・フィッシュ」を立ち上げ、全国の魚を愛する仲間と奔走するウエカツ。
 今、なぜ日本に漁業のチカラが必要なのか。魚を、そして魚に関わる全ての人や地域を愛してやまない型破り官僚、ウエカツに迫った。

人と魚をつなげてみよう

 「魚はドラマを生んでくれる。魚を食べるということは自然界との対話なんだよ」。身を乗り出して語る。足元は白い長靴。まったく違和感はない。
 魚との出会いは子どものとき。漁師の家に生まれ育ったわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは誰もが子どもの頃に経験する魚捕りだった。とにかく魚が好きだった。見る、獲る、飼う、捌く、食べる…。小学三年生で包丁研ぎも覚えた。
 大好きな魚のことが学べる大学があると知り、長崎大学水産学部へ。漁船に乗り込み、各地の漁村を行脚した。漁師と寝食を共にするうちに、関心は魚自体から、魚に関わる人へと移っていった。
 このまま船で暮らしていこう。そう心に決め、仲間の漁師に相談した。ところが皆の答えは「学校出とるんだし、中央へ行け。漁師のことを分っているお前だからこそ、中央で働け」。後継者不足で悩んでいる彼らから出たその言葉に背中を押され、中央へ。「人と魚をつなげてみよう。漁師のことを伝えてみよう」。そうした想いを抱いていた。

3・11が教えてくれたこと

 後継者不足、価格低迷、燃油の高騰、食の変化、魚離れ…。水産業の厳しい現実を背景に、3・11の震災が起こった。すぐには被災地には行かなかった。家族や家、船や漁具を失った被災地の漁師たち。この先必要とされるものは何か。将来に向かって今やらなければならないことは何か。どうすれば東北の復興ができるか。金やモノの支援でハコモノや生産基盤は整えることはできる。果たしてそれだけでいいのか。
 「3・11は、今の日本の水産業が抱える混沌とした問題を、はっきりとした

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形で教えてくれたんだよ」。
 まともな値段で買ってもらえない。受け皿がなければ、獲る意味もつくる意味もない。受け皿があるだけではだめであって、日々頑張る漁師を支えてもらえるような体制にならないといけない。
 そして、たどり着いた標語が「買って、食って、支える」「楽しく、おいしく、ためになる」だった。その覚悟を消費地が崩さずに継続することができれば、被災地の漁業、日本の魚食は間違いなく蘇る。我々は日本の国土の範囲で食を賄っていくのが基本であり、食こそが国民であり、その集積が国のようなものだからこそ、これは実現しないといけない。
 全国の水産を愛する仲間と「水産の復興を考える会」を立ち上げた。掲げたテーマは「ニッポンの魚食の復興と、水産物を中心としたニッポンの食の再構築」。築地場外で食堂を開設したり、イベントブースで魚を料理して広く紹介したり。あらゆるかたちで、魚と人を繋ぐ。そのためにも、人と人を、役所と国民をも繋ぐ。自らは接着剤の役目をする。
 「きっかけを差し出しながら、やる気にさせるまでがまずは私の仕事だと思っています。つながりの先には、生産者と消費者、人と人が顔を合わせることによって、信頼や自信や、誇りなんかが、おぼろげながらでも生まれてくる。その希望がある仕組みが大切だと思うんです」。それは、まさに中央へと背中を押してくれた、かつての漁師仲間から託された想いでもあった。

魚食の復興=日本のチカラ

 魚離れが叫ばれて久しいが、実際に何が嫌いか?とアンケートを取ると、料理方法が難しいとか、生臭いなどの回答が多かった。「魚という食材に対して、表層的な部分でつくりあげた先入観じゃないのかな」。
 では、漁師が苦労をして獲った魚を消費者にきれいに食べてもらうには、どうすればよいか。「消費者は知らないものは買わない。味の体験が少ない―というのも同じことで、知らないということは存在しないのと同じだよ」。だったら「知らない」を「知っている」にすればいいと、考えた。売り方、食べ方を見直せば可能性は無限大に広がる。
 日本全国、呼ばれれば出掛けて行き、トークと料理で魚の魅力を伝える。漁師には魚の絞め方を教える。まさしく、魚の伝道士として、日本の魚食力の再興に尽くしている。

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 漁業があったことで、どれだけ多くの日本人が生活ができたか、そう考えるだけでも漁業が大切だと実感する。人の心や生活が変わったとしても、自然の恵みと与えられた国土の条件は変わらない。
 海に囲まれ、面積の小さい日本。「日本の地形は三百から五百種の魚を育んでいるんです。それなのに、日常の食卓にのぼるのはせいぜい十種類程度でしょ。これじゃあ、海のというか、この国に生まれ落ちた人間として、の恵みを活かしきれてない。もったいないと思いませんか」。島国だからこそ、自分たちの国にあった食べ方をすることが、自立への道となる。「魚食の復興は日本のチカラであり、国として存立できるか否かのカギを握っている。そう思うんです」。
 
 最後に座右の銘を聞いてみた。ウエカツは太い腕を組み、ややあってこう答えた。「座右の銘?それはちゃちというか、おもちゃに過ぎないでしょ」。なるほど。日本の漁業の未来はこのような男にかかっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

vol12-profile

 

上田勝彦

 

 水産庁増殖推進部研究指導課 情報技術企画官。一九六四年九月島根県出雲市生まれ。長崎大学水産学部在学中より漁船で働き、水産庁入庁後は。瀬戸内海の漁業紛争調整、捕鯨、マグロ漁場開拓、日本海の資源管理プロジェクト等に関わり現職。日本の「魚食力」を再興すべく歯切れの良いトークと料理で魚の魅力を伝える“魚の伝道士”。魚食復興有志による「水産の復興を考える会(旧Re-Fish」にて活動。

 東京霞が関で働く水産庁の職員、上田勝彦さん。人は彼のこと「ウエカツ」と呼ぶ。

 震災後、東北の魚を買って、食べて、支えようと、「水産の復興を考える会(旧:Re-Fishリ・フィッシュ」を立ち上げ、全国の魚を愛する仲間と奔走するウエカツ。

 今、なぜ日本に漁業のチカラが必要なのか。魚を、そして魚に関わる全ての人や地域を愛してやまない型破り官僚、ウエカツに迫った。

 

-人と魚をつなげてみよう

 「魚はドラマを生んでくれる。魚を食べるということは自然界との対話なんだよ」。身を乗り出して語る。足元は白い長靴。まったく違和感はない。

 魚との出会いは子どものとき。漁師の家に生まれ育ったわけではない。

 

それは誰もが子どもの頃に経験する魚捕りだった。とにかく魚が好きだった。見る、獲る、飼う、捌く、食べる…。小学三年生で包丁研ぎも覚えた。

 大好きな魚のことが学べる大学があると知り、長崎大学水産学部へ。漁船に乗り込み、各地の漁村を行脚した。漁師と寝食を共にするうちに、関心は魚自体から、魚に関わる人へと移っていった。

 このまま船で暮らしていこう。そう心に決め、仲間の漁師に相談した。ところが皆の答えは「学校出とるんだし、中央へ行け。漁師のことを分っているお前だからこそ、中央で働け」。後継者不足で悩んでいる彼らから出たその言葉に背中を押され、中央へ。「人と魚をつなげてみよう。漁師のことを伝えてみよう」。そうした想いを抱いていた。

 

-3・11が教えてくれたこと

 後継者不足、価格低迷、燃油の高騰、食の変化、魚離れ…。水産業の厳しい現実を背景に、3・11の震災が起こった。すぐには被災地には行かなかった。家族や家、船や漁具を失った被災地の漁師たち。この先必要とされるものは何か。将来に向かって今やらなければならないことは何か。どうすれば東北の復興ができるか。金やモノの支援でハコモノや生産基盤は整えることはできる。果たしてそれだけでいいのか。

 「3・11は、今の日本の水産業が抱える混沌とした問題を、はっきりとした形で教えてくれたんだよ」。

 まともな値段で買ってもらえない。受け皿がなければ、獲る意味もつくる意味もない。受け皿があるだけではだめであって、日々頑張る漁師を支えてもらえるような体制にならないといけない。

 そして、たどり着いた標語が「買って、食って、支える」「楽しく、おいしく、ためになる」だった。その覚悟を消費地が崩さずに継続することができれば、被災地の漁業、日本の魚食は間違いなく蘇る。我々は日本の国土の範囲で食を賄っていくのが基本であり、食こそが国民であり、その集積が国のようなものだからこそ、これは実現しないといけない。

 全国の水産を愛する仲間と「水産の復興を考える会」を立ち上げた。掲げたテーマは「ニッポンの魚食の復興と、水産物を中心としたニッポンの食の再構築」。築地場外で食堂を開設したり、イベントブースで魚を料理して広く紹介したり。あらゆるかたちで、魚と人を繋ぐ。そのためにも、人と人を、役所と国民をも繋ぐ。自らは接着剤の役目をする。

 「きっかけを差し出しながら、やる気にさせるまでがまずは私の仕事だと思っています。つながりの先には、生産者と消費者、人と人が顔を合わせることによって、信頼や自信や、誇りなんかが、おぼろげながらでも生まれてくる。その希望がある仕組みが大切だと思うんです」。それは、まさに中央へと背中を押してくれた、かつての漁師仲間から託された想いでもあった。

 

-魚食の復興=日本のチカラ

 魚離れが叫ばれて久しいが、実際に何が嫌いか?とアンケートを取ると、料理方法が難しいとか、生臭いなどの回答が多かった。「魚という食材に対して、表層的な部分でつくりあげた先入観じゃないのかな」。

 では、漁師が苦労をして獲った魚を消費者にきれいに食べてもらうには、どうすればよいか。「消費者は知らないものは買わない。味の体験が少ない―というのも同じことで、知らないということは存在しないのと同じだよ」。だったら「知らない」を「知っている」にすればいいと、考えた。売り方、食べ方を見直せば可能性は無限大に広がる。

 日本全国、呼ばれれば出掛けて行き、トークと料理で魚の魅力を伝える。漁師には魚の絞め方を教える。まさしく、魚の伝道士として、日本の魚食力の再興に尽くしている。

 

 漁業があったことで、どれだけ多くの日本人が生活ができたか、そう考えるだけでも漁業が大切だと実感する。人の心や生活が変わったとしても、自然の恵みと与えられた国土の条件は変わらない。

 海に囲まれ、面積の小さい日本。「日本の地形は三百から五百種の魚を育んでいるんです。それなのに、日常の食卓にのぼるのはせいぜい十種類程度でしょ。これじゃあ、海のというか、この国に生まれ落ちた人間として、の恵みを活かしきれてない。もったいないと思いませんか」。島国だからこそ、自分たちの国にあった食べ方をすることが、自立への道となる。「魚食の復興は日本のチカラであり、国として存立できるか否かのカギを握っている。そう思うんです」。

 

 最後に座右の銘を聞いてみた。ウエカツは太い腕を組み、ややあってこう答えた。「座右の銘?それはちゃちというか、おもちゃに過ぎないでしょ」。なるほど。日本の漁業の未来はこのような男にかかっているのかもしれない。

 

-上田勝彦(うえだ・かつひこ)

 水産庁増殖推進部研究指導課 情報技術企画官。一九六四年九月島根県出雲市生まれ。長崎大学水産学部在学中より漁船で働き、水産庁入庁後は。瀬戸内海の漁業紛争調整、捕鯨、マグロ漁場開拓、日本海の資源管理プロジェクト等に関わり現職。日本の「魚食力」を再興すべく歯切れの良いトークと料理で魚の魅力を伝える“魚の伝道士”。魚食復興有志による「水産の復興を考える会(旧Re-Fish」にて活動。