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 人口二万二千人の鳥羽市。市域全体が伊勢志摩国立公園に指定されているこの町には、鳥羽藩の城下町として発展した歴史があり、多くの自然、神話や物語などの資源がここそこに息づいている。漁師と海女の初恋を描いた三島由紀夫の「潮騒」の舞台になったのもこの町だ。そんな地域の資源に光を当てようと奔走している人がいる。鳥羽商工会議所専務理事の清水清嗣さん。「観光振興がなければ、商工振興はありえない」。観光振興への挑戦を続ける清水さんに迫った。

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観光と地域づくり

 

 鳥羽の離島、答志島の出身。東京の大学を出てサラリーマンを経験し、二九歳で鳥羽に戻って鳥羽商工会議所に入った。それから三年間は金融や労務を担当し、会議所の会員のこと、鳥羽の町のことをとにかく勉強した。町のことを知れば知るほど、山積している課題にぶち当たった。いずこも同じ悩みを抱える商店街振興もそのひとつ。色々なイベントを打った。地域振興のため、国や県の予算折衝を重ねるうちに、専門家との人脈も築いていった。
 四〇歳になったころ「観光資源が豊富な鳥羽。観光振興がないと、商業振興はあり得ない」というひとつの結論にたどり着いた。鳥羽は一九九三年に伊勢市で開催された「まつり博三重」を契機に、ピーク時には実に年間七百万人の観光客が訪れた。ところが、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災などの影響を受け、入込数は低迷。一九九八年、運輸政策研究機構の「新時代の国内観光」では、鳥羽を含む伊勢志摩地方の観光資源は京都、日光と並んで全国で最高の評価を受ける一方で、宿泊施設のサービス水準や空間の快適性は低い評価が示された。
 これらの結果を受け、当時の会頭の「会議所自らが存在意義を問う」という提議のもと、観光によるまちづくりを通じた地域の自立を促す、観光振興事業の推進が本格的に始まった。現在の町づくりの礎となる「エコミュージアム構想マスタープラン」の策定、そして地域資源としての海女文化、みなとまち文化、離島文化の保全・継承に着手した。

 

海女文化を世界遺産に

 

「女性の願いがひとつだけ叶う」。そんなキャッチコピーで、今や、全国各地の女性のパワースポットとして知られる石

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神さんも、エコミュージアム構想マスタープランで発掘された。地域資源を探すうちに、地域の古老に話を聞く機会に恵まれ、海女が必ずお参りに行くという石神さんが浮かび上がった。「海女だけでなく、一般の女性の願いを叶えてくれるスポットにできないか」。そんな思いで最初は簡単なマップをつくり、民宿や旅館に配った。すると、マップを手に若い女性が町歩きを始めるようになった。それを見て、今度は女性客には願いをひとつだけ紙に書いて賽銭箱に入れてもらうことにした。二〇一一年、賽銭箱には実に十六万を超える人の願いが入れられ、参拝に訪れた人はおよそ二十万人にもなった。石神さんに人が集まるようになると、参道や町にも活気が溢れ、地域の人たち自らが町を訪れる人たちをもてなそうという気運も高まった。
 先ずは海女文化の情報発信拠点として旧役場の建物を再利用して「海女文化資

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料館」を開館した。次に、参道にあった元々海女が住んでいた古民家を借り受け「海女の家五左屋」として整備した。一階は地元の特産品を販売、二階は喫茶飲食。海女が獲った魚介類を海女小屋で味わう相差海女小屋「相差かまど」もスタートさせた。屈託のない海女との会話は、都会から来た女性たちにとっては清涼剤となり、たちまち人気のスポットになった。
 こうして、それまで目には見えなかった海女文化を形にし、人の導線をつくることに成功。相差は二〇一〇年にはミシュランの「グリーンガイド」で「一つ星」を獲得。翌二〇一二年、韓国の麗水で開かれた国際博覧会では、商工会議所の自主事業として日韓海女フォーラム「海女の集い」を開催。そこでは「海女文化をユネスコ世界遺産に登録をしよう」と、シュプレヒコールを挙げた。
すべては地域の特性を住民参加で生かし、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地域で収益を上げ自立維持するまちづくりに役立てようというエコミュージアムの考え方に基づいている。

町の未来図を描く

 海女文化だけではない。風俗研究家・岩田準一を紹介する「鳥羽みなとまち文学館」、詩人・伊良子清白を顕彰する「伊良子清白の家」の移築事業支援など、地元出身の文人をテーマにしたミュージアムもつくった。実は開館するまで、準一も清白もほとんど知られていなかった。
「人物や自然、民俗など、他には真似のできない地域の資源を活かしていきたい。埋もれていた資源に光を当て、その功績やつながりなどを紹介することで、地域の住民の関心を高めていく。整備までしてしまうと、相当な覚悟もいりますが、住民参加にするためには、どうしても見える形にしないとだめなんです」。成功の鍵を握るのは町の人々の参加なのだ。
 今、新しく取り組んでいるのは離島文化。中でも「御食国・答志島」だ。「三

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重の中でも有人離島を有しているのは鳥羽だけ。離島は鳥羽のいいところなんです。島へ渡る人が増えれば、民宿や旅館の収益も上がるし、定期船の利用客も増えます」。
答志島には昨年九月、朝日の見える場所に三角形の大きなウッドデッキ「ブルーフィールド」をつくった。現在は夕陽の美しい場所に施設をつくろうと計画を温めている。地域資源の宝庫ともいえる答志島では、島の人たちに自分たちで島の魅力を再発見し、発信する力を身に付けてほしいと考え、情報発信の講座も始めている。
「定住人口が毎年少なくなり、消費額も減っていく。じゃあ、何でカバーすればいいのか。観光客を入れるしかない。二〇二〇年の東京オリンピックに向け、外国人観光客を増やす時機に来ているんです」。絶えず町の振興を念頭に、物事を考えている。町の未来を語るその瞳には鳥羽の未来図がしっかりと描かれていた。

 人口二万二千人の鳥羽市。市域全体が伊勢志摩国立公園に指定されているこの町には、鳥羽藩の城下町として発展した歴史があり、多くの自然、神話や物語などの資源がここそこに息づいている。漁師と海女の初恋を描いた三島由紀夫の「潮騒」の舞台になったのもこの町だ。そんな地域の資源に光を当てようと奔走している人がいる。鳥羽商工会議所専務理事の清水清嗣さん。「観光振興がなければ、商工振興はありえない」。観光振興への挑戦を続ける清水さんに迫った。

 

-観光と地域づくり

 鳥羽の離島、答志島の出身。東京の大学を出てサラリーマンを経験し、二九歳で鳥羽に戻って鳥羽商工会議所に入った。それから三年間は金融や労務を担当し、会議所の会員のこと、鳥羽の町のことをとにかく勉強した。町のことを知れば知るほど、山積している課題にぶち当たった。いずこも同じ悩みを抱える商店街振興もそのひとつ。色々なイベントを打った。地域振興のため、国や県の予算折衝を重ねるうちに、専門家との人脈も築いていった。

 四〇歳になったころ「観光資源が豊富な鳥羽。観光振興がないと、商業振興はあり得ない」というひとつの結論にたどり着いた。鳥羽は一九九三年に伊勢市で開催された「まつり博三重」を契機に、ピーク時には実に年間七百万人の観光客が訪れた。ところが、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災などの影響を受け、入込数は低迷。一九九八年、運輸政策研究機構の「新時代の国内観光」では、鳥羽を含む伊勢志摩地方の観光資源は京都、日光と並んで全国で最高の評価を受ける一方で、宿泊施設のサービス水準や空間の快適性は低い評価が示された。

 これらの結果を受け、当時の会頭の「会議所自らが存在意義を問う」という提議のもと、観光によるまちづくりを通じた地域の自立を促す、観光振興事業の推進が本格的に始まった。現在の町づくりの礎となる「エコミュージアム構想マスタープラン」の策定、そして地域資源としての海女文化、みなとまち文化、離島文化の保全・継承に着手した。

 

-海女文化を世界遺産に

「女性の願いがひとつだけ叶う」。そんなキャッチコピーで、今や、全国各地の女性のパワースポットとして知られる石神さんも、エコミュージアム構想マスタープランで発掘された。地域資源を探すうちに、地域の古老に話を聞く機会に恵まれ、海女が必ずお参りに行くという石神さんが浮かび上がった。「海女だけでなく、一般の女性の願いを叶えてくれるスポットにできないか」。そんな思いで最初は簡単なマップをつくり、民宿や旅館に配った。すると、マップを手に若い女性が町歩きを始めるようになった。それを見て、今度は女性客には願いをひとつだけ紙に書いて賽銭箱に入れてもらうことにした。二〇一一年、賽銭箱には実に十六万を超える人の願いが入れられ、参拝に訪れた人はおよそ二十万人にもなった。石神さんに人が集まるようになると、参道や町にも活気が溢れ、地域の人たち自らが町を訪れる人たちをもてなそうという気運も高まった。

 先ずは海女文化の情報発信拠点として旧役場の建物を再利用して「海女文化資料館」を開館した。次に、参道にあった元々海女が住んでいた古民家を借り受け「海女の家五左屋」として整備した。一階は地元の特産品を販売、二階は喫茶飲食。海女が獲った魚介類を海女小屋で味わう相差海女小屋「相差かまど」もスタートさせた。屈託のない海女との会話は、都会から来た女性たちにとっては清涼剤となり、たちまち人気のスポットになった。

 こうして、それまで目には見えなかった海女文化を形にし、人の導線をつくることに成功。相差は二〇一〇年にはミシュランの「グリーンガイド」で「一つ星」を獲得。翌二〇一二年、韓国の麗水で開かれた国際博覧会では、商工会議所の自主事業として日韓海女フォーラム「海女の集い」を開催。そこでは「海女文化をユネスコ世界遺産に登録をしよう」と、シュプレヒコールを挙げた。

すべては地域の特性を住民参加で生かし、地域で収益を上げ自立維持するまちづくりに役立てようというエコミュージアムの考え方に基づいている。

 

-町の未来図を描く

 海女文化だけではない。風俗研究家・岩田準一を紹介する「鳥羽みなとまち文学館」、詩人・伊良子清白を顕彰する「伊良子清白の家」の移築事業支援など、地元出身の文人をテーマにしたミュージアムもつくった。実は開館するまで、準一も清白もほとんど知られていなかった。

「人物や自然、民俗など、他には真似のできない地域の資源を活かしていきたい。埋もれていた資源に光を当て、その功績やつながりなどを紹介することで、地域の住民の関心を高めていく。整備までしてしまうと、相当な覚悟もいりますが、住民参加にするためには、どうしても見える形にしないとだめなんです」。成功の鍵を握るのは町の人々の参加なのだ。

 今、新しく取り組んでいるのは離島文化。中でも「御食国・答志島」だ。「三重の中でも有人離島を有しているのは鳥羽だけ。離島は鳥羽のいいところなんです。島へ渡る人が増えれば、民宿や旅館の収益も上がるし、定期船の利用客も増えます」。

答志島には昨年九月、朝日の見える場所に三角形の大きなウッドデッキ「ブルーフィールド」をつくった。現在は夕陽の美しい場所に施設をつくろうと計画を温めている。地域資源の宝庫ともいえる答志島では、島の人たちに自分たちで島の魅力を再発見し、発信する力を身に付けてほしいと考え、情報発信の講座も始めている。

「定住人口が毎年少なくなり、消費額も減っていく。じゃあ、何でカバーすればいいのか。観光客を入れるしかない。二〇二〇年の東京オリンピックに向け、外国人観光客を増やす時機に来ているんです」。絶えず町の振興を念頭に、物事を考えている。町の未来を語るその瞳には鳥羽の未来図がしっかりと描かれていた。