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 東大阪市にあるコーヒー輸入販売会社の3代目、田代和弘さん。1杯の珈琲を美味しく飲んでもらうために、産地へ足を運び、厳しい舌と目で豆を吟味し、納得のいく豆だけを輸入している。「精選からカップまで」をコンセプトに、従業員と共に努力を重ねる田代さんに経営について聞いた。

-社長に就任されたのは。
 29歳で社長になりました。子どもの頃から2代目の父の背中を見て、跡を継ぐことになるんだな、という意識は持っていました。ですので、大学時代のアルバイトも魚市場や料亭、ファーストフードと、食品の川上から川下までを経験し、卒業後、食品メーカーへ就職しました。その後実家に戻り、田代珈琲に入社しましたが、仕事が少ない事に気付きました。元々は喫茶店を主要顧客とする業務用卸100%の仕事をしていましたが、廃業などで喫茶店そのものの数が減っていたんですね。これでは会社が時代に取り残されていく、何とかしないといけない、と試行錯誤をしている矢先に父が他界し、3代目の社長になりました。
 
-事業の推移は
 社長になってまずは会社の中の整理といいますか、仕事内容や手順、分担などすべてを見直しました。業界の細分化により、廃業する喫茶店が増え、2001

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年ごろには会社の将来に危機感を覚え、将来のビジョンと経営方針を模索し始めました。そのころ、家庭でコーヒーを飲むという方向性が見え始めたので、まずはインターネット販売を始め、その3年後には他社との差別化を図るために、味、香りだけでなく、お客様が味わっていただくまでのすべての過程にこだわり、徹底管理をした高品質な「スペシャルティコーヒー」に特化し始めました。順調とまではいかなくても、ビジョンに向かって新しい道は拓けたのですが、私と社員の価値観の共有が難しく、私自身にも経営方針に微妙なブレが生じ、社員のモチベーションを上げる難しさに直面しました。品質を追求している一方で、価格競争を繰り広げ、売上は伸びるのに社員には過酷な労働を強いている。そんな状況で、退職者が相次ぎました。長年苦楽を共にした社員も去っていきました。

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-社員教育を見直された
 退職者が相次ぎ、社員が辞めない会社をつくろうと心に決めました。人づくりの大切さに気付いたのです。そこで、社員の成長を継続的に支援しようと、社員の成長に合わせた目標を設定し、その目標の達成度を確認するようにしました。現在も続いている年に1度の1泊2日の経営指針合宿にも本腰を入れました。そこでは、参加した社員全員が会社や社長のこと、同僚のこと、職場で気になることなどを付箋に書き、見えるように掲示します。悪いこともあれば良いこともあり、それらについて改善方法を皆で考えたりします。とにかく1から会社を作っていきたい、という気持ちでいっぱいでした。2009年、初めて新卒者を採用しました。小さいながら会社で入社式を開き、社員一同で迎え入れました。新卒者が入ったことで職場の皆が優しくなり、育てようという意識が芽生えました。翌年からも新卒者が入るたびに、社員もそうですが、僕自身も逆に育ててもらっているという気持ちがします。
 
-心掛けていることは
とにかく、社員の本音を聞くということです。何でも言える職場環境だと思ってはいますが、個人面談で引き出したり、元気がないなと思ったら話しかけたりしています。自己評価シートも活用し、社員が成長する道筋を明確に見えるようにしています。あと、定年は規則では65ですが、「70まで働いてほしい」と、社員には言っています。本人の気力や体力にもよりますが、社員には死ぬまで働ける環境を提供していきたいですね。

-将来の夢は
 コーヒーの教育を軸として人間形成ができる学校を作りたいと考えています。コーヒーの知識や技術のキャリアを積みながら、人間形成をしていく、そういう学校です。

 

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田代珈琲株式会社
代表取締役
田代和弘さん
田代珈琲ウェブサイト

 東大阪市にあるコーヒー輸入販売会社の3代目、田代和弘さん。1杯の珈琲を美味しく飲んでもらうために、産地へ足を運び、厳しい舌と目で豆を吟味し、納得のいく豆だけを輸入している。「精選からカップまで」をコンセプトに、従業員と共に努力を重ねる田代さんに経営について聞いた。

 

-社長に就任されたのは

 29歳で社長になりました。子どもの頃から2代目の父の背中を見て、跡を継ぐことになるんだな、という意識は持っていました。ですので、大学時代のアルバイトも魚市場や料亭、ファーストフードと、食品の川上から川下までを経験し、卒業後、食品メーカーへ就職しました。その後実家に戻り、田代珈琲に入社しましたが、仕事が少ない事に気付きました。元々は喫茶店を主要顧客とする業務用卸100%の仕事をしていましたが、廃業などで喫茶店そのものの数が減っていたんですね。これでは会社が時代に取り残されていく、何とかしないといけない、と試行錯誤をしている矢先に父が他界し、3代目の社長になりました。

 

-事業の推移は

 社長になってまずは会社の中の整理といいますか、仕事内容や手順、分担などすべてを見直しました。業界の細分化により、廃業する喫茶店が増え、2001年ごろには会社の将来に危機感を覚え、将来のビジョンと経営方針を模索し始めました。そのころ、家庭でコーヒーを飲むという方向性が見え始めたので、まずはインターネット販売を始め、その3年後には他社との差別化を図るために、味、香りだけでなく、お客様が味わっていただくまでのすべての過程にこだわり、徹底管理をした高品質な「スペシャルティコーヒー」に特化し始めました。順調とまではいかなくても、ビジョンに向かって新しい道は拓けたのですが、私と社員の価値観の共有が難しく、私自身にも経営方針に微妙なブレが生じ、社員のモチベーションを上げる難しさに直面しました。品質を追求している一方で、価格競争を繰り広げ、売上は伸びるのに社員には過酷な労働を強いている。そんな状況で、退職者が相次ぎました。長年苦楽を共にした社員も去っていきました。

 

-社員教育を見直された

 退職者が相次ぎ、社員が辞めない会社をつくろうと心に決めました。人づくりの大切さに気付いたのです。そこで、社員の成長を継続的に支援しようと、社員の成長に合わせた目標を設定し、その目標の達成度を確認するようにしました。現在も続いている年に1度の1泊2日の経営指針合宿にも本腰を入れました。そこでは、参加した社員全員が会社や社長のこと、同僚のこと、職場で気になることなどを付箋に書き、見えるように掲示します。悪いこともあれば良いこともあり、それらについて改善方法を皆で考えたりします。とにかく1から会社を作っていきたい、という気持ちでいっぱいでした。2009年、初めて新卒者を採用しました。小さいながら会社で入社式を開き、社員一同で迎え入れました。新卒者が入ったことで職場の皆が優しくなり、育てようという意識が芽生えました。翌年からも新卒者が入るたびに、社員もそうですが、僕自身も逆に育ててもらっているという気持ちがします。

 

-心掛けていることは

とにかく、社員の本音を聞くということです。何でも言える職場環境だと思ってはいますが、個人面談で引き出したり、元気がないなと思ったら話しかけたりしています。自己評価シートも活用し、社員が成長する道筋を明確に見えるようにしています。あと、定年は規則では65ですが、「70まで働いてほしい」と、社員には言っています。本人の気力や体力にもよりますが、社員には死ぬまで働ける環境を提供していきたいですね。

 

-将来の夢は

 コーヒーの教育を軸として人間形成ができる学校を作りたいと考えています。コーヒーの知識や技術のキャリアを積みながら、人間形成をしていく、そういう学校です。

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