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長寿で名高い沖縄県。中でも、本島北部に位置する大宜味村(おおぎみそん)は「長寿日本一宣言」をしている「長寿の里」である。手つかずの豊かな自然に恵まれたこの地には、今尚受け継がれる伝統的食文化がある。
 

 

そんな食文化を伝える役目を担っている食堂「笑味の店(えみのみせ)」の店主、金城 笑子(きんじょう えみこ)さん。

沖縄県本部町に生まれ、幼少期から家の手伝いを通して料理に関心をよせ、管理栄養士になった。結婚を機に大宜味村に移住。そこでの暮らしの中から、この地で元気に暮らす「おじい」や「おばあ」の姿に強く感銘を受けた。
そんなおじいやおばあの生活の中にあった、大宜味村の伝統的食文化。自然豊かなこの地が育む食に魅了された笑子さんは、その食文化をさらに研究し、多くの方の心と身体に届けたいと思い「笑味の店」をオープンした。

 

自身の畑を持ち、そこで採れた食材で作られる料理は、どれも大宜味村の生活を支えて来た食文化ばかり。

また、料理を提供するだけではなく、野菜の収穫や、沖縄料理を体験できる畑舞堂(はたまいどう)という施設も隣接させ、様々な角度から、この地の食文化を伝えている。
 おじい、おばあの暮らしからインスパイアされた「笑味の店」と笑子さんの暮らし…そこには、家族皆で生き延びるための先人たちの知恵がたくさん詰まっている。長寿の里が生み出した「生きる知恵」とより良いライフスタイルについてお伺いした。

 

「昔は子だくさんですよね。だからっていって今みたいに食べ物の流通が進んでいたわけではないから、自分たちで育てて、収穫して料理して食べるっていう一連の流れが当たり前だったので。だから育てないと食べ物がない。
でも自然にすごく恵まれているから、山で季節の木の実とか、いちごとかが採れる。海では、貝類を獲って食べられるとか。海草、ヒトエグサとかもずくとか、獲ってきて乾燥させて保管すれば料理に繋がるような素材も、ちゃんと獲れる時に獲って保管をして。やっぱりそうやって工夫をしないと皆の食生活が潤わないっていうのを知っていて、そういう動きを当たり前にしてきた。そういうものを全部、場所も季節も皆読んでいたと思うんですよね。」

 

 

自然に恵まれたこの地で、たくさんの子どもを育て、家族を養っていくための知恵が生んだ感覚。
「せっかくたくさんの食材があるから、使ってあげなきゃねっていう気持ちになるじゃないですか。」

 

 畑に成るものすべてを無駄にせず、美味しくいただくために、乾燥機を使って保存をしたり、様々な調理法を編み出したりしている。普段見過ごされがちな野草、それすらも笑子さんの手にかかれば、食に彩りを添える大事なエッセンスとなる。
「例えばイヌビユとか。九〇歳以上の年配の人は食べたからわかってると思うけど、若い世代はあまりわからない。食べたら美味しいっていうのは、お店を通して、食べたお客さんが習得していくっていう感じね。あとは桑の葉とか。桑の葉を潰してからケーキの中に入れたら、グリーンのきれいなケーキができたり。」そしてそれらを余すことなく使うための工夫もしている。

「やっぱり食べるものに対しての好奇心がすごく強いから、小さい畑でその素材をどうやって料理のレパートリーが広くなるところに繋げていくかということも含めて、いろんな育っているものをどう
生かしていくか、どう組み合わせするかっていうのを常に考えていて。できたらやっぱり伝統料理、伝統食材っていうものは、常に意識して。身近で採れる伝統食材は特に工夫をしなければと思っているから。」
自分一人で育て上げる小さな畑。そこから採れる素材…だからこその考え方が笑子さんにはある。
「大きいところは本当に量をたくさん作るじゃないですか。その感覚って、労働の感覚も一日一ヶ月一年のレベルで動くじゃないですか。でも私の今の感覚って、本当に小さい動きで、毎日時間で流れているくらいの速さですよね。朝起きたら収穫するし、朝食にその素材が使われるし、また畑に行けばまた何かを収穫してまた食べるしって。今度は〇〇が食べたいなと思えば、一番作りやすい季節を狙ってまず植えてみようっていう感じです。植えたけど一個二個しか採れなかったっていうときもあるし、でもその一個二個っていうのは、とても自分にとっては大切で。そこがなんかどこか違うような。」

「百姓」という言葉は本来、百の姓(仕事)を持つ、という意味合いで使われてきた。笑子さんは、本当の意味での「百姓」を現代に営んでいるのかもしれない。
「私は今レストランがあって、今野菜作りをもっともっとやりたいっていう気持ちがあるけど、でもその傍らで洋裁したりとか、そういうことも少しやってるわけね。もう少し歳取ったら、畑で過ごす時間を短くして、お家の中で少し洋裁をしたりする時間があり、
楽しみは二つに分けて楽しむっていう形を取らなくてはいけないのかなと思ったの。」

笑子さんがそう感じたのには、あるおばあの生き様があった。
「もともと民宿をしていて、料理がとっても好きな九九歳のおばあちゃんがいるんですけど、その傍らで機織りをするようなことが、本人の楽しみの一つでもあったわけね。民宿を卒業して、
それで今度は機織りを本格的にし始めたのね。でもそれをしながら、デイサービスに週に二日は通ってたわけ。そういう状態を九九まで繋いできた、その人の生活の足跡、その生き様っていうのか…これって、自分で考え、努力するものなんだねって思ったわけね。今自分が思っていることを少しずつ実行に移さなければいけないって。。病院や施設で長い間過ごさないでね、最後の最後まで、あまり周りに面倒もかけないで逝ってしまえたらいいなということを、現実に考えたのね。」

 

 

生活を繋いで行くためだけの仕事、それだけに縛られた人生を送ってしまうことのないように心がけていることがある。
「やっぱり忙しくても、仕事を通しても、遊びっていうのが平行してなきゃできないのかなと思った。ガムシャラじゃなくてもいいと思うのよ。自分の無理のない動きを、自然にすればいいのかねって思うのね。喉が渇いていると、熟したパパイヤがあるから、鎌でパンって切ってから、スイカみたいにして食べたりしてる。それでホッとしたりしてね。時間過ごせるさ。蝶々も飛んでくるし。」
 
長寿の秘訣は、この「百姓をする」ことにあると笑子さんは考える。
「おじいはどうしても、おばあより先に逝ってしまうのね。じゃあなんで男の人より女の人が長生きするのかねっていう質問が来たりするわけ。ハッと思ったら、
女の人ってものすごくいろんなことをしているわけね。子供を育てる過程での動きっていっぱいあるじゃないですか。ご飯を作って食べさせなければいけないし、服も考えて着せなければいけないし、洗濯はしないといけないし、掃除とかさ、小さい動きがいっぱいあるのね。だから小回りの効く動きを、一生懸命リズム的に回転させている女の人の動きっていうのは、どこかやっぱり長寿につながる要因を秘めてるのかなって。」

 

 長寿の里の長寿の秘訣、それはこの村の食と暮らしにあるのかもしれない。笑子さんはこれからも、そんなこの村の文化を伝え残すべく、この地で楽しく料理をして、人々が来るのを待っている。

 
 

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 長寿で名高い沖縄県。中でも、本島北部に位置する大宜味村(おおぎみそん)は「長寿日本一宣言」をしている「長寿の里」である。手つかずの豊かな自然に恵まれたこの地には、今尚受け継がれる伝統的食文化がある。

 そんな食文化を伝える役目を担っている食堂「笑味の店(えみのみせ)」の店主、金城 笑子(きんじょう えみこ)さん。沖縄県本部町に生まれ、幼少期から家の手伝いを通して料理に関心をよせ、管理栄養士になった。結婚を機に大宜味村に移住。そこでの暮らしの中から、この地で元気に暮らす「おじい」や「おばあ」の姿に強く感銘を受けた。そんなおじいやおばあの生活の中にあった、大宜味村の伝統的食文化。自然豊かなこの地が育む食に魅了された笑子さんは、その食文化をさらに研究し、多くの方の心と身体に届けたいと思い「笑味の店」をオープンした。

 自身の畑を持ち、そこで採れた食材で作られる料理は、どれも大宜味村の生活を支えて来た食文化ばかり。

また、料理を提供するだけではなく、野菜の収穫や、沖縄料理を体験できる畑舞堂(はたまいどう)という施設も隣接させ、様々な角度から、この地の食文化を伝えている。おじい、おばあの暮らしからインスパイアされた「笑味の店」と笑子さんの暮らし…そこには、家族皆で生き延びるための先人たちの知恵がたくさん詰まっている。長寿の里が生み出した「生きる知恵」とより良いライフスタイルについてお伺いした。

 「昔は子だくさんですよね。だからっていって今みたいに食べ物の流通が進んでいたわけではないから、自分たちで育てて、収穫して料理して食べるっていう一連の流れが当たり前だったので。だから育てないと食べ物がない。でも自然にすごく恵まれているから、山で季節の木の実とか、いちごとかが採れる。海では、貝類を獲って食べられるとか。海草、ヒトエグサとかもずくとか、獲ってきて乾燥させて保管すれば料理に繋がるような素材も、ちゃんと獲れる時に獲って保管をして。やっぱりそうやって工夫をしないと皆の食生活が潤わないっていうのを知っていて、そういう動きを当たり前にしてきた。そういうものを全部、場所も季節も皆読んでいたと思うんですよね。」

 自然に恵まれたこの地で、たくさんの子どもを育て、家族を養っていくための知恵が生んだ感覚。「せっかくたくさんの食材があるから、使ってあげなきゃねっていう気持ちになるじゃないですか。」

畑に成るものすべてを無駄にせず、美味しくいただくために、乾燥機を使って保存をしたり、様々な調理法を編み出したりしている。普段見過ごされがちな野草、それすらも笑子さんの手にかかれば、食に彩りを添える大事なエッセンスとなる。「例えばイヌビユとか。九〇歳以上の年配の人は食べたからわかってると思うけど、若い世代はあまりわからない。食べたら美味しいっていうのは、お店を通して、食べたお客さんが習得していくっていう感じね。あとは桑の葉とか。桑の葉を潰してからケーキの中に入れたら、グリーンのきれいなケーキができたり。」そしてそれらを余すことなく使うための工夫もしている。

「やっぱり食べるものに対しての好奇心がすごく強いから、小さい畑でその素材をどうやって料理のレパートリーが広くなるところに繋げていくかということも含めて、いろんな育っているものをどう 生かしていくか、どう組み合わせするかっていうのを常に考えていて。できたらやっぱり伝統料理、伝統食材っていうものは、常に意識して。身近で採れる伝統食材は特に工夫をしなければと思っているから。」 自分一人で育て上げる小さな畑。そこから採れる素材…だからこその考え方が笑子さんにはある。「大きいところは本当に量をたくさん作るじゃないですか。その感覚って、労働の感覚も一日一ヶ月一年のレベルで動くじゃないですか。でも私の今の感覚って、本当に小さい動きで、毎日時間で流れているくらいの速さですよね。朝起きたら収穫するし、朝食にその素材が使われるし、また畑に行けばまた何かを収穫してまた食べるしって。今度は〇〇が食べたいなと思えば、一番作りやすい季節を狙ってまず植えてみようっていう感じです。植えたけど一個二個しか採れなかったっていうときもあるし、でもその一個二個っていうのは、とても自分にとっては大切で。そこがなんかどこか違うような。」

 「百姓」という言葉は本来、百の姓(仕事)を持つ、という意味合いで使われてきた。笑子さんは、本当の意味での「百姓」を現代に営んでいるのかもしれない。「私は今レストランがあって、今野菜作りをもっともっとやりたいっていう気持ちがあるけど、でもその傍らで洋裁したりとか、そういうことも少しやってるわけね。もう少し歳取ったら、畑で過ごす時間を短くして、お家の中で少し洋裁をしたりする時間があり、楽しみは二つに分けて楽しむっていう形を取らなくてはいけないのかなと思ったの。」

 笑子さんがそう感じたのには、あるおばあの生き様があった。「もともと民宿をしていて、料理がとっても好きな九九歳のおばあちゃんがいるんですけど、その傍らで機織りをするようなことが、本人の楽しみの一つでもあったわけね。民宿を卒業して、それで今度は機織りを本格的にし始めたのね。でもそれをしながら、デイサービスに週に二日は通ってたわけ。そういう状態を九九まで繋いできた、その人の生活の足跡、その生き様っていうのか…これって、自分で考え、努力するものなんだねって思ったわけね。今自分が思っていることを少しずつ実行に移さなければいけないって。。病院や施設で長い間過ごさないでね、最後の最後まで、あまり周りに面倒もかけないで逝ってしまえたらいいなということを、現実に考えたのね。」

 生活を繋いで行くためだけの仕事、それだけに縛られた人生を送ってしまうことのないように心がけていることがある。「やっぱり忙しくても、仕事を通しても、遊びっていうのが平行してなきゃできないのかなと思った。ガムシャラじゃなくてもいいと思うのよ。自分の無理のない動きを、自然にすればいいのかねって思うのね。喉が渇いていると、熟したパパイヤがあるから、鎌でパンって切ってから、スイカみたいにして食べたりしてる。それでホッとしたりしてね。時間過ごせるさ。蝶々も飛んでくるし。」

 長寿の秘訣は、この「百姓をする」ことにあると笑子さんは考える。「おじいはどうしても、おばあより先に逝ってしまうのね。じゃあなんで男の人より女の人が長生きするのかねっていう質問が来たりするわけ。ハッと思ったら、女の人ってものすごくいろんなことをしているわけね。子供を育てる過程での動きっていっぱいあるじゃないですか。ご飯を作って食べさせなければいけないし、服も考えて着せなければいけないし、洗濯はしないといけないし、掃除とかさ、小さい動きがいっぱいあるのね。だから小回りの効く動きを、一生懸命リズム的に回転させている女の人の動きっていうのは、どこかやっぱり長寿につながる要因を秘めてるのかなって。」

 長寿の里の長寿の秘訣、それはこの村の食と暮らしにあるのかもしれない。笑子さんはこれからも、そんなこの村の文化を伝え残すべく、この地で楽しく料理をして、人々が来るのを待っている。